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グレースケリーの晩年と若い頃!子供や孫も気になる!

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歴史的人物
skeeze / Pixabay

こんにちは!みっこりんです。
今回は映画女優からモナコのプリンセスとなりました超絶美人のグレースケリーさんに
ついてフォーカスしていきたいと思います。

華麗な人生を歩んでこられたグレースケリーさん
今回は若い頃や、事故で亡くなる前の晩年について
またお子さんやお孫さんについても調査していきたいと思います。

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グレースケリーのプロフィールは?

それではまず最初にグレースケリーさんのプロフィールをまとめていきましょう

誕生日 1929年11月12日
死没1982年9月14日52歳
身長169 CM

52歳の若さで事故で亡くなりました。

生い立ちは?


52歳の若さで亡くなられました Grace Kelly さんですが
どんな生い立ちを過ごしていらしたのか
家について調べていきましょう。

グレースケリーさんの父ジャックケリーは
アイルランドから渡ってきたアメリカの移民です。

グレースケリーさんの父も
非常にハートが強い方でどんな仕事でもスポーツでも常に1番を
目指しているような野心的なタイプであったんです。

とてもお金持ちでした

母のマーガレットさんもモデルの経験もあり
ペンシルベニア大学で最初の女性体育教師になった方でした。

つまりグレースケリーさんの生い立ちは
スポーツ一家に生まれています
姉のペイント2歳年上の兄けるも
とても活発な子供でしたが

グレースケリーはどちらかといえば
スポーツが苦手で体が弱い病弱な女の子でした。

若い頃について


アメリカ女優からモナコのプリンセスになったグレースケリーさんが
52歳の若さで亡くなられたことについて書きましたが

それでは次に Grace Kelly さんがどんな若い頃を過ごされていたのか
まとめていきますね

グレースケリーさんの若い頃は比較的身体が弱くて運動神経もあまり
ではなかったそうなんですね

幼い頃は色とりどりの美しいお花や
好きな物語の登場人物になりきることも好きだったんですって

女優になったグレースさんの仕事にきっと活かされていたんでしょうね

グレースケリーの叔父がアメリカの大きな文学賞であるピュリッツァー賞を受賞する
ほどの人で
自然と演劇に興味を持って行きました。

しかし若い頃のグレースケリーは病弱でいつも風邪ばっかりしているから
鼻声で
しかもどちらかというとぽっちゃりしているタイプだったから
どちらかと言うと自分自身を何か表現できるもの
待ち望んでいた子供だったからこそ演劇は若い頃のグレースケリーを
さらに自分の殻を破る段階で

彼女自身を助けてみられるものだったと思います。

いつも太ったメガネの冴えない女の子は信じられないくらい
綺麗になっていきました

1947年かレースケリーが17歳の時高校卒業を控えて
ニューヨークへ向かうことを決意映画女優への道を開いて行きます。

旦那様年上なのは?

女優として内気ではあったけれども必死に練習を続けオーディションに挑戦していき
チャンスをつかみながら真面目に仕事をしているうちに
彼女は運命の人と出会います。

グレースが出会ったのは、モナコ公国であるレーニエ公
レーニエ公は1923年5月31日生まれ
すごく年上ということでもなくグレースとの年の差は5歳ですね。

結婚した理由は?

アメリカの大女優であったグレースケリーが
なぜモナコの国王でもあるレーニエ公と結婚したその理由は、

言葉もわからないのに
自分自身もキャリアを捨ててでも家庭を持ちたいと思い始めたことも
結婚を後押ししたでしょう。

馴れ初めは?


それではモナコ国王でありますれに行こうとアメリカ女優の
グレースケリーの馴れ初めについてなんですが、

最初にお二人が出会ったのは仕事を通じて出会ったんですね

モナコ大公宮殿にてレーニエ公とグレースケリーの対談のお仕事があったんだそうです。

そこからふたりは文通を続け
ある時フィラデルフィアの実家に帰ったところ

レーニエ公はグレースに会いに来てくれたです。

ここで今までになく心が温かくなっていることに気づいたグレースケリーは
今までのキャリアを捨てても

レーニエ公と結婚してモナコの王妃になってもいいかもと思い始めます。
プロポーズを受け結婚されます。

1956年1月グレースが26歳の時に婚約が発表

初めは英語しかわからなかったので
結婚した後もフランス語でのコミュニケーションに悩んだそうです。

しかしこれまでのファンの皆さんの手紙なのに励まされ
諦めずフランス語の勉強も続けていきます。

子供は?

それではモナコの王妃になられたグレースケリー
デイジーコートの間にお子さんがいらしたのか調べて行きましょう。

1957年1月28日結婚して約2年28歳の時
カロライン公女出産

続けて年子で1958年3月14日29歳の時
アルベール公子を出産されます

1965年3月1日36歳の時
ステファニー公女出産3人のお子さんに恵まれます。

幸せな時間を過ごしてきたグレースケリーは
公務もしっかりとこなされていきます。

ユニセフの記念式典を主催されたり
母乳による育児を支援する団体でスピーチを行ったり

公国立博物館を設立するなど的に公務も務められました。

孫について

それでは次に52歳で事故で亡くなってしまいましたが
3人のお子さんに恵まれたグレースケリー

お孫さんについて調べていきましょう。

3人のお子さんがそれぞれご結婚されて

11人のグレースケリーのお孫さんが誕生しました。

そして長女のキャロラインさんの夫ステファノさんも
船の事故で亡くなっていらっしゃいます。

キャロラインさんのお子さんに

アンドレア
シャーロット
ピエール

そして旦那さんのステファノさんが亡くなった後、再婚
一番若いプリンセスアレクサンドラが誕生

グレースケリーの次女シャーロット

ルイス
パウリナ

グレースケリーの長男アルベールの子供に
ジャズミンも含めて

その他合わせて合計11人の孫に恵まれました。

晩年について

グレースケリーの晩年は、三つ大きな出来事がありました。

一つ目は日本の神戸訪問
着物を着たり神戸で開催されたポートアイランド博覧会に家族で訪れました。

二つ目は休業状態の劇場を立て直し

グレース王妃劇場として立て直しました。

晩年に成し遂げた3つ目は映画出演

映画「リアレンジド」
ガーデンクラブの活動を紹介する映画で本人役で出演

なんでもグレースケリーは晩年も
様々なところで活動を続け大活躍されました。

しかし52歳の若さで自動車事故で亡くなり
モナコにお墓があり今でもたくさんの方が訪れています。

グレースケリーまとめ

今回はアメリカの大女優からモナコの王妃になられた
グレースケリーさんについてまとめてみました。

お父様がスポーツマンであったからこそ
グレースケリーご自身は体が弱かったこともあり

お父さんに認められたいという気持ちがあったからこそ
ここまで頑張ってこれたそうです。

本当に美しさを兼ね備えた方でしたね

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